夜逃げ
このご時世色々な事に直面して、今まで以上に考える事が増えた。
自分は何を目標に何のために生きてるのかって。
そう思ったのも初めてではないんだけど、漠然とそんな事を考えている。
私は幼い頃の記憶と言えば父親がママを殴っていたこと。
そして押し入れの中に弟と2人で隠れていたこと。
息を潜んで見守る事しかできなかった。
4歳くらいだったかな、、、
全くもって思い出したくない記憶の1つ。
そして耐えかねたママは私と弟を連れて、夜逃げした。
親戚の家を点々としながら、追ってくる父親から逃げ回っていた。
親戚宅には半年くらいお世話になったのかな。
そこから母子寮という初めての空間で生活することとなった。
聞いた事もない所で始まる生活に不安はあったが、3人一緒ならどうにでもなる気がしていた。
少し前の状況より悪くなるわけがない。
母子寮はうちと同じ様な人や様々な理由でここにたどり着いた人たちの集まり。
6畳1間でお風呂とトイレは共同、だけども安心感があったのを覚えている。
20世帯くらいの集合住宅。
外出、帰宅した際は必ずボードにある木の名札をひっくり返す、あと男禁制それがルールだった。
部屋は狭かったけれど、お風呂は銭湯みたいに広かったし、母親が仕事に行ってる間も周りには同じような友達がいたから、とても心強かった。
ママの仕事はというと、小さな体でクリーニングのトラック運転手をしていた。
重い荷物を運んで、生計を立てた。
私が保育園に行かない日は一緒にトラックに乗って仕事しているのを見ていた。
一緒にいれる時間がすごく嬉しかったな、、、
ママはいつも笑顔で泣き言なんて絶対に言わない、明るい人。
母子寮に越してきてから
『これからは3人で頑張っていこうね!』と
手を握って話したのを覚えている。
本当はすごく辛かったと思う。
大切なものは燃やされ、生涯共にすると決めた相手には殴られ、耐えていたんだから。
そんな思いをしながらも私たちのことを考えてくれて、片親だから!と言われないように、そして可能性が広がるようにとスイミングや剣道、少林寺拳法を習わせてくれた。
私が今同じ立場になったら、同じように振る舞えるのかな、、、自信ない。
沢山の愛で包んでくれた、ママをすごく尊敬している。
ここで生活したのは3年くらいかな。
なんの不自由もなかった。
寂しさもなかったし、やっと居場所を見つけられた気がした。